誰もが抱える心の奥にある炎
こんにちは、カノンです。
私たちは日常のさまざまな場面で、怒りを感じることがあります。
約束を破られとき。
理不尽な要求をされたとき。
大切にしていた想いを踏みにじられたとき。
自分の努力が正当に評価されなかったとき。
胸の奥がざわつき、思わず怒りがこみあげてくるものです。
怒りは、私たちの心に起こる自然な反応であり、誰もが抱く感情です。ですが、扱い方を間違えると、ときには自分やまわりを破壊してしまうほどの強いエネルギーにもなりえます。
そのせいか、私たちの社会では、怒りを否定的に捉える傾向があります。
「怒ってはいけない」「冷静でいなければ」「大人なら我慢すべき」と、自分に言い聞かせる人も多いはずです。
特に、優しさや思いやりを大切にする人ほど、自分の怒りを「悪いもの」として押し殺してしまいがちです。
ですが、本当にそれで良いのでしょうか。怒りは、避けるべき感情なのでしょうか。
怒りが教えてくれる、心の境界線
私が内省の旅を深めて気づいたのは、すべての感情は、私たちに何かを教えてくれる大切なセンサーだということです。
それでは、怒りの正体とはいったい何なのでしょうか。
それは「境界線が侵された」というサインです。
私たちは誰もが、心の中に「これだけは譲れない」という境界線を持っています。
怒りとは、この境界線が踏み越えられたとき、あるいは踏み越えられそうになったときに発動するアラームのようなもの。
自分の価値観や大切にしているものが侵害された時に、自然にわき起こる自己防衛のための強い反応なのです。
たとえば、誰かが約束を破ったときに感じる怒りは、「信頼を大切にしたい」という価値観が踏みにじられたからです。
自分の意見を頭ごなしに否定されてカッとなるのは、「私の考えは尊重されるべきだ」という譲れない思いがあるからです。
つまり怒りとは、心が発する「これ以上は譲れない」という強いメッセージなのです。
それは、私たちが自分自身の価値を認めて尊重している証でもあり、心身ともに健康な状態を保つために欠かせない自然な反応なのです。
怒りを抱きしめ、真の自己とつながる
怒りが「心の境界線のサイン」であると気づくと、向き合い方も変わってくるのではないでしょうか。
怒りを「抑えるべき衝動」としてではなく、「自分を守るための大切なメッセージ」として受け取ってみませんか。
怒りは、私たちに立ち止まり、内省する機会を与えてくれます。
何に対して怒りを感じているのか、その怒りの根底にある「守りたいもの」は何なのか、どんな境界線が侵されたのか、深く感じてみみましょう。
すると、怒りの奥に隠れていたものが見えてくるはずです。
尊重されたい、理解されたい、大切にされたい、公平でありたい、誠実でありたい、自分らしくありたい……。
怒りは、私たちの心が本当に大切にしている価値観を、教えてくれているのです。
怒りの奥にある「守りたいもの」が明確になれば、感情に振り回されずに、冷静に毅然としたコミュニケーションをとれるようになります。
「私はこう感じた」「私にとってこれは大切なこと」と、自分の境界線を相手に伝えること。 
それは、相手を攻撃するのではなく、より良い関係を築くための健全なコミュニケーションとなるのです。
怒りがもたらす贈り物
怒りと向き合い、抱きしめることができた時、あなたは素晴らしい贈り物を受け取ることになるでしょう。
まず、自己理解が深まります。何に怒りを感じるかを知ることで、自分が本当に大切にしているもの、守りたいものが明確になります。その大切なものや境界線をしっかり守り、主張していくこと。それこそが、自分自身を尊重する行為であり、最終的に深い自己肯定感へとつながっていくのです。
そして、他者との「健全な対話」ができるようになります。
衝動的に怒りの言葉をぶつけるのではなく、「私はこの点について尊重されていないと感じた。だから改善してほしい」と、自分の思いと要求を、毅然と相手に伝えることができるようになるのです。
自分の境界線を相手に伝えることは、結果的にお互いの価値観を尊重し合える、快適で思いやりに満ちた関係を築くことにつながるのです。
怒りという感情は、あなたを苦しめるためにあるのではありません。
怒りがあるからこそ、私たちは自分自身を尊重し、他者と健全な関係を築くことができるようになるのです:)
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